シェイクスピア四大悲劇のひとつ『ハムレット』。青年の苦悩と強い決意、そして行動を描いた名戯曲として読み継がれ、演じ継がれてきました。
2015年には、評判の高い蜷川ハムレットの舞台が80周年記念作品として復活することとなりました。ここで今一度、名作の魅力を詳しく見ておきましょう。
『ハムレット』その成り立ちとあらすじ
書かれた年代、その背景
『ハムレット』は1600年から1602年頃に書かれたと推定されています。
その頃、シェイクスピアは30代後半。1600年といえば、日本では関ヶ原の合戦が起こった年です。
当時すでに、『ハムレット』の復讐劇と似た筋立ての物語は存在していましたし、さらに大元は北欧神話にまでさかのぼります。
まとまった記述の見られる文献では12世紀末、デンマークの歴史家サクソがラテン語で記した『デンマーク史』に、父を殺して母を妻にした叔父に対して、狂気を装った主人公が復讐を遂げる物語が描かれています。
シェイクスピアは種本を元にし、それを換骨奪胎して新たな戯曲を作ることにとても長けていました。
『ハムレット』も原ストーリーに登場人物を加え、ふくらませて、魅力的な物語にしたのです。
『ハムレット』のあらすじ
先に書いたように、根本にあるのは父を殺された息子の復讐劇です。
デンマーク王が急死し、それからひと月もたたない内に、王妃ガートルードは再婚。その相手は先王の弟、つまり王子ハムレットの叔父にあたるクローディアスであり、彼がデンマーク王に即位しました。
ハムレットは、その事実に衝撃を受けます。
夜な夜な父である先王の亡霊が現れると耳にしたハムレットは亡霊と対面。先王の亡霊から、叔父のクローディアスに毒殺されたと聞き、ハムレットは復讐を企てます。
ハムレットは狂気を装い、王と王妃はその変貌ぶりに戸惑いを隠せません。それを、宰相ポローニアスは娘オフィーリアに恋い焦がれてのことだと推測します。
父に囮役を命じられたオフィーリア。その様子を王とポローニアスは物陰から窺いますが、ハムレットは自分が監視されていると気づいてしまい、オフィーリアに冷たい言葉を投げつけます。
城を訪れた旅役者に、父王殺害の状況とそっくりの筋立ての芝居をやらせて、王と王妃の様子を見るハムレット。王クローディアスは動揺し、上演を中断させました。
ハムレットは、亡霊の話していたことが事実だと確信します。
王クローディアスは身の危険を感じ、付き添いを2人つけてハムレットをイギリスに行かせることに決めます。
王妃ガートルードの部屋でハムレットは、国王に無礼を働いた罪をガートルードにとがめられます。
その様子を盗み聞きしていたのは、宰相ポローニアス。隠れて立ち聞きしているポローニアスを王クローディアスと勘違いし、刺し殺してしまうハムレット。その死体を運び去ります。
王妃は王に、ハムレットがポローニアスを殺害したことを報告。ですが、ハムレットは死体の隠し場所を語ろうとしません。
王クローディアスは、ハムレットを即刻イギリスに行かせることに決め、付き添いの2人にハムレットを処刑するよう記した国王への新書を持たせます。
父を失い、ハムレットに去られたオフィーリアはショックで発狂。オフィーリアの兄レアティーズは、ハムレットがポローニアスを殺し、王クローディアスの命も狙っていると知らされます。
オフィーリアは狂った末に川で溺死し、レアティーズは父と妹の復讐を心に決めます。
イギリスに向かったハムレットから、友人ホレイショーの元に手紙が届きます。途中で海賊の捕虜になって、帰国している途中だとのこと。
デンマークに戻ってきたハムレットはホレイショーに、船上でイギリス国王への新書を開封し、処刑されるのは付き添いの2人だと書き換えた直後に海賊に襲われたと話します。
帰国したハムレットとホレイショーは、オフィーリアの納棺の場に遭遇。オフィーリアの死に動転するハムレット。大げさに嘆くレアティーズに耐えられず、ハムレットは彼の前に躍り出ます。レアティーズもまた、仇であるハムレットに掴みかかります。
が、その場はふたりとも取り押さえられます。
ハムレットはレアティーズからの挑戦を受け、剣術の試合をすることになります。
試合はハムレットが優勢でしたが、レアティーズの毒の剣で突かれて乱闘となり、どちらもその剣で負傷してしまいます。
一方、王クローディアスの用意した毒の盃を知らずに飲んだ王妃ガートルードが倒れ、命を落としてしまいます。
毒のせいで息絶え絶えのレアティーズは、彼が自分の剣に毒を塗っていたこと、また王のせいで王妃が毒殺されたとハムレットに語ります。
ハムレットは毒の剣で王を刺し、とどめに毒杯を飲ませ、王を殺害します。
レアティーズとハムレットは和解し、レアティーズは息絶えます。その後ハムレットは、ホレイショーに対し、自分の立場をまだ知らない人々に釈明してくれと言って死んでいくのです。
最後には、登場人物のほとんどが死に至るという、まさに悲劇も極まれり――そんな壮絶な作品が『ハムレット』なのです。
『ハムレット』の名台詞たち
「いったい何の本ですか?」「言葉、言葉、言葉」(永川玲二訳)
――これは第2幕第2場で交わされる、ポローニアスとハムレットの会話です。
『ハムレット』は実に4000行を越える、シェイクスピアの作品の中でもっとも長いもの。まさに「言葉、言葉、言葉」で出来上がっています。
そしてその中には、たくさんの名台詞がちりばめられています。
ここで少し、代表的なものをご紹介しましょう。
「生きるべきか、死ぬべきか」「なすべきか、なさざるべきか」
「To be, or not to be:that is tha question.」ハムレットといえば誰もが思い出す有名な文章ですね。
第3幕第1場、囮として祈祷台にひざまずくオフィーリアの前に、ハムレットが沈痛なおももちで現れてまず言う言葉です。
訳文には様々あり、いまだにどれがもっともふさわしいのか、論議は絶えません。
物語に沿うならば、復讐をするべきか否か、とも取れますし、台詞の流れではすぐ後に「死ぬ」という単語が出てきますので、生か死か、とも取れます。
読者の解釈でさまざまな意味に取れるというのも、名台詞と言われる理由のひとつでしょう。
「弱き者よ、汝の名は女」
原文は「Frailty, thy name is woman.」、第1幕第2場のハムレットの台詞です。「弱き者よ~」の訳は坪内逍遙。
母親が、ひと月で叔父と結婚してしまったことへの嘆きと非難をあらわした、ハムレットの独白の一部です。
現在では「Frailty」を、「弱い」ではなく「脆(もろ)い」と訳すのが主流のようです。
「尼寺へ行け!」
原文は「Get thee to a nunnery!」です。これは第3幕第1場、「To be~」のすぐ後に、祈祷台から立ち上がったオフィーリアとハムレットの会話の中で登場します。
ハムレットは祈祷台を指さして「尼寺へ行け」と言い、立ち去る時まで何度も念押しのように繰り返します。
父の死後すぐにほかの相手と結婚してしまった母親、ひいては女性全体への不信がハムレットの中にあり、オフィーリアを傷つける言葉を何度も投げつけることになります。
が、尼寺=修道院に入ることで、オフィーリアには清らかでいてほしいという願いを込めているともとれます。
一方で、当時修道院では売春が行われていたらしく、そういう意味でオフィーリアをおとしめるという捉え方もできます。
これも読者の解釈に委ねられるものでしょう。
「哲学では想像のつかないことが、天地の間にはいくらでもある」
第1幕第5場でのハムレットの台詞です。
原文は「There are more things in heaven and earth, Horatio, than are dreamt of in your philosophy.」で、友人ホレイショーへの言葉です。
父の亡霊に会った後で、ホレイショーは「奇々怪々、まったくありえないことだ」(永川玲二訳)と言い、その返事としてハムレットがこう答えます。
これはバイロンの詩劇「マンフレッド」の冒頭に引用され、また推理小説などでもあちこちで引かれている言葉です。
そのくらい、真理を表現しているということでしょう。
『ハムレット』の名舞台
劇団四季、宝塚、ミュージカル……ハムレットは日本でもたくさん舞台化され、たくさんの観客を動員してきました。
中でも名高いのは、蜷川幸雄演出のハムレットですね。
1978年に初めて上演されて以来、キャストと演出を変えながら何度も再演されています。
1998年にはハムレット・真田広之、オフィーリア・松たか子、2003年にはハムレット・藤原竜也、オフィーリア・鈴木杏で演じられました。
そして2015年、蜷川氏80歳となる年に、ふたたびハムレット・藤原竜也での再演が決定しました。
オフィーリアに選ばれたのは満島ひかり。またオフィーリアの兄・レアティーズに、満島ひかりの実弟である満島真之介と、とても興味深いキャスティングがされています。
作中、オフィーリアを葬る墓地の場面で、ハムレットは30歳であると明かされます。
藤原竜也は現在32歳。つまりハムレットとほぼ同年で演じることになるわけで、その辺りも注目したいところです。
今また、古典の名作に光が当てられようとしています。皆さんもぜひ、もう一度『ハムレット』の魅力に触れてみてください。