ふだんお寺や神社へお参りすることはなくても、初詣だけは別、というかたは多いと思います。
お参りをして、ついでに破魔矢もいただいてくることもありますよね。
とくにはじめて破魔矢をいただいた時は、帰宅して、さて、どこに飾ろう……と動きがとまってしまいませんか。
破魔矢の成り立ち、飾り方について、詳しくお伝えしたいと思います。
破魔矢の成り立ち
破魔矢は、お正月の縁起物で、お寺や神社で授かる矢です。
お守りやお札もそうですが、あくまでも「購入」するのではなく「授けていただく」ものです。
破魔矢の原型となった行事、「射礼」
正月には「射礼(じゃらい)」といって、弓の技量を競う競技を行う習慣がありました。
地区ごとに弓射を競い、勝った地区がその年豊作に恵まれるという、作物の豊凶を占う競技だったのです。
この時に使われる、藁を編んで作った的を「ハマ」と呼び、このハマを射る弓矢を「ハマ弓(浜弓)」「ハマ矢(浜矢)」と呼んでいました。
これがのちに「破魔」に通じるということで破魔弓、破魔矢と呼ばれるようになったのです。
ハマ打ちからきた破魔矢は、本来、破魔弓とセットのもの、むしろ破魔弓がメインです。
古来から弓の弦を鳴らす音には邪を祓う力があると言われており、宮中では皇子が生まれた際には弓弦を鳴らす鳴弦の儀という儀式が行われます。
民間でも、男の子が生まれたあとのはじめての正月に破魔弓と破魔矢のお飾りを贈る風習があり(女の子は羽子板)、お正月だけでなく、端午の節句にも飾ります。
平賀源内の考案した「矢守」
一方、江戸時代、今でいう大田区の新田神社という神社が、縁起物として「矢守」というものを売り出しました。
新田神社は南北朝時代の武将、新田義興(にった よしおき)を祀った神社です。
新田家には「水破」「兵破」という二本の矢が家宝として伝わっていたという伝説があり、それを受けて江戸時代半ばには「義興の矢」という矢が新田神社の門前の茶店で売り出されていました。
この「義興の矢」をもとに、矢を魔除けのお守り、「矢守」として売り出すよう勧めたのが、有名な平賀源内です。
源内は新田義興の謀殺と新田家に伝わる「水破」「兵破」の伝説をもとに『神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)』という話を作り、浄瑠璃として上演します。
源内(当時は福内鬼外(ふくうち きがい)という名で発表しました)の『神霊矢口渡』はのちに歌舞伎にもなり、大ヒットして、新田神社への参拝も流行し、「矢守」も浸透していきました。
江戸後期にはほかの神社でも「矢守」を売り出すようになり、こちらも破魔矢と呼ばれるようになって、前述のハマ弓・ハマ矢の習慣と合わさって正月の縁起物として定着するようになったのではないかと言われています。
破魔矢の飾り方
寺社によっては、破魔矢のお授け所に「◯◯の方角へ矢じりを向けて飾りましょう」と書いてあるところもあるようです。
ですが、基本的に、破魔矢を飾る時に難しい決まり事はありません。
家を建てる上棟式の時、鬼門と裏鬼門に破魔弓と破魔矢を飾るのですが、どうやらこれが混入していることがあるようです。
破魔矢は、神棚や床の間のあるおうちはそこにお祀りするだけで大丈夫です。
今は神棚・床の間のないおうちも多いですね。
そういう場合は、どこでもかまいません。
寺社から授けていただいた縁起物を飾るのですから、飾る前にその場所を清めて、そして安置しましょう。
どうしても方角が気になる場合は、その年の凶報、もしくは鬼門(東北東)に矢じり(羽根のついていないほう)を向けるといいでしょう。
一つだけ気をつけるべきなのは、おとなの目線よりも高い場所へ飾ること。
これはなぜかというと、神様を見下ろすことがないようにするためです。
飾り終わった破魔矢はどうすればいいの?
破魔矢は毎年新しく授けていただくものです。
一年、おうちを見守って悪いものから守っていただいたら、翌年、いただいた寺社へお返ししましょう。
神社やお寺へお返しする
お参りにいけば、お守りやお札、破魔矢をお返しする窓口が用意されています。
また、お焚き上げの時に持参するのもいいでしょう。
お返しするのはいただいた寺社がよいとされていますが、たとえば旅行先でいただいたり、引っ越しをしてしまっていただいた寺社へお返しにいくのが難しいこともありますね。
その場合は、おうちの近くの寺社でかまいません。
どこのお寺や神社でも、返納を受け付けてくれます。
お返しできない時は
どうしてもタイミングが合わなくて破魔矢やお札をお返しできないこともあると思います。
そういう時は、自宅でお清めして、処理しましょう。
自宅での破魔矢やお札の処理方法
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一年のはじめに破魔矢をいただき、飾って、新しい年に感謝とともにお返しし、新しい破魔矢をいただく。
昔ながらの習慣ですが、気持ちも切り替わって引き締まりますし、ぜひ生活に取り入れたい行事です。